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炎のサムライダンサー ドニー坂本

日本のために 福島のために 踊り続けるラテンダンサー
トップを駆け抜けた10年

 いわき市小島町にある多目的施設「プリンセス・アイ」の支配人で、ラテンダンサー・健康体操、ウォーキング研究家のドニー坂本こと坂本弘文さんは、1964年生まれ。社交ダンスA級を持ち、数々の社交ダンスの大会で入賞。雑誌やテレビ、ラジオにも出演し、いわき市を拠点に活躍している自称『炎のサムライダンサー』です。
 ドニーさんは、常にナンバーワンを志しています。学生の頃「踊れたらかっこいい、モテる」という理由で始めたダンスも、東京のディスコを制覇し、ナンバーワンになることを目標にしました。都内のディスコに通い詰め、ついにジュリアナ東京やベルファーレのVIP会員に。その後、不動産会社に就職しても、西東京地区不動産営業実績ナンバーワンの営業マンになり、さらに日本人初の男性ショーダンサーを経験するなど、トップを駆け抜ける豊かな人生経験を経て、32歳のとき、いわきにUターンしました。

日本人初の快挙、感動の瞬間へ

 ダンスのパートナーでもある妻の純子さんと「ナンバーワンになる」という目標をかかげ、数々のダンス大会に出場。ダンスを始めて30年、「世界大会で優勝する」と豪語してから15年、ファイナル進出5年目の2012年『ロンドンインターナショナル選手権』で見事優勝。 『ワールドチャンピオン選手権』 でも優勝し、2冠を達成。日本人初の快挙を成し遂げ、戦いの地の表彰台で『君が代』を熱唱したというドニーさん。15年の時を積み重ね、ついに実を結んだ感動の瞬間でした。

夢かなえるため、自分を信じる

 ドニーさんと純子さんの教室は、キッズサークル、サルサ・ラテン・ベリーダンス教室のほか、ドニーさん考案のディスコラテンダンスやウォーキングなど、ダンス以外にも、踊ることの楽しさや面白さ、豊かな心を育ててくれます。
 特にキッズサークルでは、挨拶や礼儀、筋力の使い方など、ドニーさんがダンスで培った心構えを学び、マナーを身に付けます。子供のうちに色々なステージで経験を積み、キラリと輝くダンサーへと導いてくれる人気のダンスサークルです。
 東日本大震災という大きな出来事が、今まで以上に本気の気持ちを目覚めさせてくれたと言います。「自分たちのダンスに夢を持たせたい」「日本のために、福島のために、踊り続ける」「夢をかなえるためには、あきらめないこと。自分にしかできないと、自分を信じること」と、様々な経験をしたからこそ語れる強い思い。
 ドニーさんの情熱的なダンスは、たくさんの人に夢や希望、笑いの光を与えています。
この記事は2013年2月号に掲載されたものです。掲載当時と内容が異なる場合があります。ご了承ください。